『どこを見ているかを、どこから見ているか立ち止まって見てみる。』
同じような思考、同じような価値観の人といると居心地は良い。
が、
そこから新しい事が生まれることは少ない。
ましてや、同じで“ような”に気づいていないと尚更だ。
違う事を知っているわかっている認め合っている、と思っているも危ない。
なぜか。
それは思考・価値観が偏る、というよりは
視点が同じになるからだ。
視点が同じになると考えが限定的になり疑いを持たず
視野が広いようでどんどん狭くなる。
そうなるとどうなるか、というと、
誰も喜ばないような事柄が、あたかも世界の心理だと言わんがばかりの答えとなり
固いかたい枠を作る。
固いかたい枠は全く本人たちでは目に見えず、
何がいけないのか?そうだ!世の中だ!となる。
枠を壊した存在でいるようでまだそこは枠の中にいることに気づこう。
では、どうしたらいいか?
もちろんこれを書く僕もこの持論を書くわけだから、
僕からしたらこれは枠なのかもしれないが。
まぁ、それと認識できているからよし、として 笑
話を戻して、どうするか?
『向いている方向の横方向の視点の転換と、どこからそれを見ているかの縦方向の視点の転換』
向いている方向の視点の転換
横方向の視点
あなたが見ている方向を疑ってみる。
本当にこの方向の視点だけでいいの?
別の方向から見たらどう見える?
相手は、顔の見えない誰かは、どんなことを感じる?
360度、横方向での視点の転換。
次にどの高さから見ているかの高さの視点の転換
縦方向の視点
あなたが見ている高さの視点を疑ってみる。
県内で見たらどうか。
国内で見たらどうか。
世界で見たらどうか。
地球規模で見たらどうか。
宇宙規模で見たらどうか。
高度何メートルという縦方向での視点の転換
そうするとより良い成果を生むのだが、
これ、同じような思考の集まりでは出来にくい。
360度・高さ何万メートル規模で見る為には
その事実を知らなきゃいけない。
だってそうでしょ?海外のこと考えるのに
海外に行ったことが無ければ考えようがないわけだから。
どうするか?
まずは居心地のいい場所から出てみる。
そのうえでたくさんの人に会う。
自分で行って見てみる。
そしてその全てを受け取る。
受け入れるじゃなく受け取る。
受け取って新しい視点に追加して
そこでまた居心地のいい場に戻ってもいいじゃない。
ずっとそこにいる、
同じ人とばかりいることは危険だよって話。
【あなたが思っていることは、本当にホントの事ですか?】
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